Oh 脳《001》赤坂見附で BASIC

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赤坂見附で BASIC

《監修》小泉ひよ子とタマゴ倶楽部
第0版♪1988/03/30

    
冬の東京, 1993
帰らないわがままは 夢のため それとも かなわぬあの人のため
  • 《余録》「はじめて」のプログラミング。受講者のみなさんには、どのような思い出がありますか。私の場合は…□


学生の頃はまだ「プログラミングとは縁(えん)も縁(ゆかり)もなく」過ごしたものです。やがて、大学院への進学が決まり、必要に迫られて始めたのが、N-BASIC でした。卒論をまとめるとき、被験者実験で集めた膨大なデータを統計解析するのに「電卓では間に合わない」と判断したからです。

学内の計算機センターにある大型計算機は、利用時間が限られたり、卒論の時期は混み合ったり、そして、限られた予算(研究費)という事情もありました。そこで、時間や予算を気にせずに利用できる、研究室のマイコン(同時はパソコンとは呼ばず)を利用することにしました。

インターネット等で情報が氾濫する今日とは違い、手頃な情報源には事欠きましたが、大学院の先輩にソフトウエアの大家(当時から雑誌に寄稿するなど活躍されていた)がいらしたので、プログラミング環境には恵まれ幸運でした。その当時からすでに「ペアプログラミング」を実践したものです。

大学院へ進学すると、プログラミングにも余裕を持って取り組めるようになりました。すると、少し欲が出て FORTRAN にも触手を伸ばし始めます。しかし、そこに待っていたのは驚愕の事実で…


... zap ...
受験のため上京したのが「はじめて」の一人旅になります。そのときは、ホテルなどの宿泊施設を利用せずに、遠い親戚の世話になりました。そして、メモだけを頼りに、羽田空港から目的地を目指します。その途中で地下鉄を利用するのですが、それには一度だけ乗換が必要になります。

その乗換駅というのが、忘れもしない「赤坂見附」です。駅に着くなり、ホームの反対側に乗換の車両が入ってきたので、思わず「都会(東京)は違うな」と驚愕したものです。受験を終えるとすぐに、その体験談を学友に披露したのは言うまでもありません。

そのとき、私が描いた光景は「東京の地下鉄は『すべて』ホームで繋がっている」というものでした。今でこそ(実家のある)福岡でも地下鉄は身近な存在ですが、その当時は想像の域を出なかったものです。


... zap ...
閑話休題。そのとき、私が描いた光景は「プログラミング言語は『すべて』行番号を持っている」というものでした。しかも、FORTRAN を使い始めてしばらくの間は、その光景を覆す真実を見過ごしてしまいます。というのは、計算機センターで利用していたエディターには(編集用の)行番号がつねに表示されていたからです。

すでに賢明な読者のみなさんなら察しが付くように、それを BASIC の行番号と同列に捉えていたのです。やがて、その真実を知るのですが「BASIC な言語『だけに』行番号を持っている」ことを悟ったときのショックを想像してみてください。穴があったら入りたい…とは、まさにこのことです。

入学後に、新宿/秋葉原などへ頻繁に通うようになると「東京の地下鉄も『まれに』ホームで繋がっている」ことを悟ったときのショックを想像してみてください。穴があったら入りたい…とは、まさにこのことです。しかも、それに気付いたのは、奇しくも深〜い穴(地下鉄)の中。(^^);

Last updated♪2010/02/02