Oh 脳《70》カレーライスとメジャーリーグ中継

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《其之漆拾》カレーライスとメジャーリーグ中継


受講者のみなさんに、よくこんな質問をします。実際に作れるかどうかは別として、誰かに自慢できる料理のメニューを挙げてください。すると、いろんなメニューが返ってきます。そこで、私が自慢できるメニューに「カレー」を告げたとします。受講者の反応も様々です。今や国民食とも言える老若男女を問わず親しみのあるメニューなので「驚くに値しないことに驚きを覚える」人もいます。なかには料理自慢がいて「なるほど」と頷く人もいます。確かに、市販のルーを使うと、そこそこの味を出せます。しかし、スパイスを調合するところから始めるとなると、途方に暮れる人がいます。まるで胡椒のように、カレーの実を挽いて作るものだと思っている人もいます。しかし、本場(たとえばインド)では、何処の家庭でも手作りで味付けもバラエティーに富み、ちょうど我が家の味噌汁のようなものです。あるコミュニティーでは賞賛に値する技術も、他のコミュニティーでは取るに足らない日常という事例には、枚挙に暇がありません。
Smalltalk が一般公開された(1983)頃、メジャーリーグ中継と言えば、プロ野球中継が雨天中止になり、差換え番組がないときのリザーバーでしかありませんでした。日米野球では(観光気分の)メジャーリーガーにさえ歯が立たず、技術的な格差は歴然としていました。かつてはドル箱とされた巨人戦でも視聴率が取れず(スポンサー離れもあって)民放では高額な放映料を払えず、地上波では NHK 中継くらいが頼りです。将来の夢も、プロ野球選手ではなく、メジャーリーガーを目指すようになりました。
ベースボールが紹介されて(和風に味付けされた)プロ野球は、第一次黄金期を迎えます。オブジェクト指向が紹介されて(大衆料理に味付けされた)Java/C# が黄金期を迎えます。そして、ON というスター選手を輩出すると、野球に興味のない人までが喝采します。今新しいスター選手たる、Ruby が脚光を浴びようとしています。しかし、オブジェクト指向の本場では、Ruby の評判はいかがなものでしょうか。やがて、メジャーリーガーと肩を並べるイチローの登場に、大味のホームランだけでなく、ベースボールの原点である走攻守の魅力を、目の肥えたファンに再認識させるに至りました。しかし、日本人プレーヤーの活躍が話題になっても、他のメジャーリーガーのブレー中は、チャンネルを切り替える視聴者も珍しくありません。日本製の Ruby をことさら話題にする様とダブって見えるのは、私だけでしょうか。
それは、メジャーリーガーのプレーを見ずに、プロ野球選手を目指すようなものです。「プロ」グラマーを目指すなら、華麗なプレーもさることながら、地道なトレーニング風景にこそ見習うべきものがあります。オブジェクト指向を極めるなら、やはり本場の文化に触れてみる以外に方法はありません。たとえ自分がプレーしなく(コードを書かなく)とも、そのプレーを見ておく(コードを読む)だけでも、現状を見る目が変わってきます。ただし、Smalltalk の敷居はけっして低くはないので、それなりの心構えが必要です。プロの登山家と、アマチュアの山登りとでは、その装備だけでなく、日頃の鍛錬も違ってくるからです。
若い頃(無名時代)から本場に渡り経験を積んだ、カズこと三浦選手(サッカー)をはじめ、今日では、錦織選手(テニス)今田選手(ゴルフ)に見習って欲しいものです。日本では一流でも本場では通用せず、優れた技術を持ちながら、言葉(文化)の壁を越えられず帰国した選手もいます。Java/Ruby の世界では通用しても、Smalltalk の世界では通用しないかもしれません。
外国人横綱がインタビューで語る日本語がたどたどしければ、日本人から喝采(罵声も含めて)を受けることもなかったでしょう。Fuck you と言われてもピント来ませんが、馬鹿野郎と言われるとカチンと来るのと同じです。ある意味で、日本人以上に太々しかったからこその非難とも言えるわけです。あるいは、彼の風貌が西洋系/ラテン系だったら、非難の矛先も違っていたかもしれません。
風貌が似た Java/Ruby が比較されることはあっても、風貌が異なる Smalltalk とでは、正当に比較されることはありません。Java が大規模開発に向くという噂が十分に吟味されることなく、都市伝説のように吹聴されるのにも理由はあります。私たちは「対応バイアス」や「確証バイアス」の罠に陥りやすいものです。プログラミング言語の特性だけでなく、プログラマーの特性にも精通しておいて損はありません。
イチローが華麗にプレーする場面を見ることはあっても、地道にトレーニングする場面に遭遇する機会はまれです。同じように、完成したコードを眺めるだけでなく、そのコーディング過程を間近に見られる環境が少なくなったのは、残念な限りです。華麗なプレーを見て興じるだけなら、エンドユーザもプログラマーも区別がつきません。
iPhone を手にした今では、目の前で Walkman に興じる様を見るのは滑稽でしょう。しかし、それは iPhone を知ったからこそ抱く感情なのです。Walkman に興じていた頃の自分が想像できる範囲に、iPhone に期待される機能は含まれていたでしょうか。ですから、Smalltalk の魅力を Java/Ruby の延長上で論じても虚しいのです。□